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我々が別所小学校の多分3年生の時、(多分、大塚先生(塚パン)は既に岸小) 3クラスから4クラスに1クラス増えました。 そして増えた4組は知らない生徒たちだけのクラスでした 4年生からは、全生徒を混ぜて4クラスとなりました。 何故、このようなことになったのか、その時は、はっきり分かりませんでしたが、 当時の事として、このようなことが書いてあるものを最近見つけました。 「1957年 美笹村、戸田町に編入合併され、消滅。 1959年 旧美笹村のうち内谷・曲本・松本等の住民の強い運動の後に浦和市に編入。」 これと僅かな記憶とを合わせると、こういうことになります。 「戸田町に吸収されるのに反対する1部美笹村の住民は、子供を指定の小学校ではなく、 別所小学校に通学させた。」 事情はよく分かりませんでしたが、小学生にとっては異文化との接触でした。 彼らの住んでいるところは、3本杉の向こうに連なる田んぼを越えたそのまた向こうにあります。 友達の家に遊びに行きたいが、行っても帰ってこられるだろうか、 そこにはどんな人たちが住んでいるのだろうか、 こんなことを、しばらくの期間考えていたのを覚えています。 彼らは、毎日そこを自転車で通っているのですが。 意を決して、ついに遊びに行きましたが、帰ってくることもでき、 住んでいるのは、勿論普通の人でした。 そこは一面田んぼで、ある台風の時は、荒川のあの第2堤防ギリギリまで水があふれ、 決壊の危機であった事を覚えています。 記録にあるように、最終的に浦和と合併したことにより、大半の人は南中に行ったと思います。 その1人とサッカーの大会で偶然会った事があります。 白中に一緒に来たのは、渡辺(治)くんと牛山さんだったか、記憶が定かでないので、 間違いだったら申し訳ないです。 今、美女木のジャスコに行ったり、バイパスの立体交差を通る時、このようなことがあったこと 一面の田んぼであったことなど想像できない程変わってしまいました。      F 高橋
           
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