美術館、図書館
もと、ご近所

 小さい時、風邪で熱を出したりすると、一番近い水谷医院へ行き、帰りに何かを買ってもらい家に帰りました。
 途中、県庁前の道路と17号の交差点のところに、波型のトタンのような塀で囲われた建物がありました。
 その隣は石川病院、その隣は大原くんち(梅が枝)です。
 よく、その壁を、指でなぞってブルブルと音をだしながら歩いたものです。
 そして、いつもこの銀色に塗られた塀の中は何なんだろうと不思議に思っていました。
 高校以降は、毎日のように通学、通勤等でそこを通っていましたが、気にせず、
 また、浦和を離れ、その塀を見る機会もなくなりました。

 40歳台になって、真夏でも寒風が吹いているコンピュータ室での作業となった時、
 隣の席は発注元の会社の女の子、しかし、年齢柄こちらが指導しなければならない時もある微妙な関係。
 当然、時には世間話となることもありました。ある時、
 「どこに住んでるの」
 「浦和です。」
 「え、浦和のどこ」
 「県庁知ってます。その前です。」
 よく聞くと、何と、あの銀色の塀の住人でした。何十年も前で忘れかけていた疑問が解けたのです。

 あの建物は住居兼用の工場で溶接棒を作っているようで、今は、交通の邪魔なので立ち退きを迫られているとの事です。
 そして、その当人は、りっぱな県立女子高を出て、立派な私立大学を出、これまた大変立派な国立大学の大学院で物理を
 学び、卒業後はプー太郎しているところを、今の会社に誘われたとのことでした。

 思えば、大原くんちで遊んでいた頃は、赤ん坊で乳母車で近所を散歩していたかも知れません。
 現在は読書好きで、話の中で、「娑婆、即、寂光土」などと言い出すちょっと変わった面もありました。
 その後、電車が終電で中野止まりとなり、そこから1時間位列に並んで、タクシーで一緒に帰ってきたり、
 冷えるコンピュータ室で1夜をともに過ごしたこともありました。

 娑婆はいろいろ苦しいこともあり、寂光土とまでは言えないが、こんなちょっとしたおもしろい偶然もあるものです。
 昔の疑問が1つ解決しました。

     F 高橋